間柴の雑念

あなたがこのブログを読んでいる間、他の人は前に進む

適度のストレスは免疫活動を活性化させるなど、好ましい効果もあるとされてきた。所謂、人生の張り合い。生きがいと言い直してもいい。

現在、マクドナルド北茨城中郷店にいる。そうだ、あの、言わずと知れた、例の、巷で有名な、伝説の街となりつつある「ナカギン(中郷の銀座)」を彩る上で重要な役割を担っているファストフード店だ。

作業するためにマクドナルドに入るとき私は大体、爽健美茶Sサイズ一つのみ注文して席に座り込む。ワンコインで何時間も店内に居座ることを試みるのだ。

こういう私のような醜い乞食がマクドナルドの客単価を下げ経営を妨害しているのかと痛切に感じながらジッと席に座っていると、居ても立ってもいられず数分後には店の外に出ているのだというオチになるかと思いきや別に。

 

先ほど店内で、中学の同級生のFさん(旧姓Tさん)と偶然会った。すっかり大人になっていた。すっかりママになっていた。ここはマクドナルドなのだが、なぜかカニパンを小さくちぎりながら子どもに食べさせていた。私にもカニパンをちぎって食べさせてくれるのではないかと思い、そういった素振りや目線、雰囲気等を彼女に感じさせようと試みたが案の定気持ち悪がられ彼女と私は絶縁した。

お分かり頂けただろうか。たとえ中学の同級生だったとしても、たとえ前世で出会った者同士だったとしても、たった一瞬の出来事、たった一つの選択ミスで、人間関係は儚く一気に崩れ落ちるのだ。たとえ旧友だったとしても、たとえ一緒にプリクラを撮り「シンユウ(親友・心友・神友)」等と書いた仲であったとしても、たとえ前略プロフィールの好きな同性のタイプ欄にそのシンユウの名を刻み合った仲だったとしても、たとえ「私たちサバサバしてるよね〜!」と主張しあう団体であったとしても、「僕たち私たちのサークルは男女友情熱いです!人生1度きり!楽しまなくちゃ!」とほざき合った仲だったとしても、たとえSNSを充実させるための一つのツールとみなしていた人材同士であったとしても、それら全て、カニパンをちぎって食べさせてくれるのではないかというほんの一瞬の期待・出来心によって跡形もなく消え失せるのだ。その点に留意しながら今後も皆さんにはより有意義な人間関係を築いて頂きたい。(嘘)

 

それでは最後に

 

私「このジャケット、ものすごくタバコ臭い。」

母「なんで?」

私「友達がよく吸うからさ・・(言わずもがな、原因は雀荘。というか友達いない)」

母「着たまま、ファブリーズかけてあげるよ。」

私「ありがたい。」

 

シュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュ

 

私は全身ファブリーズを浴びたと思った

 

私「意外といい匂いしないね、これ。」

 

と言って母親の持つファブリーズらしきものを手に取った。

 

 

「寝癖直しウォーター」

 

 

そういうわけで私のジャケットは、隣で客が頬張るフライドポテトくらいベタついている。